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どら焼きお取り寄せ|由来や歴史は?発祥は江戸時代で進化中!

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どら焼きは日本の代表的な和菓子のひとつ。あずきの餡を小麦粉の皮で挟んだシンプルなお菓子ですが、そこにいろいろな美味しさが隠されていて奥が深いお菓子です。

日本の国民的アニメの「ドラえもん」のお菓子として、海外でも人気です。

どら焼きの成り立ちについては諸説ありますが、ここではいつ頃登場したのか見ていきましょう。

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どら焼きの由来や歴史は?

どら焼きは、表面にこんがりと焼き色がついた、ふんわりとした丸いカステラ状の2枚の生地の間に、あんこ(主にこしあんやつぶあん)をはさんだ日本の代表的な和菓子のひとつです。

生地は卵、砂糖、小麦粉を同量で配合した「三同割(さんどうわり)」を基本としていて、お店によって配合の割合を加減したり、バリエーションを加えたりして違いを出しています。

どら焼きは歴史的にとても古くからあるお菓子だと思われがちですが、いまの形状になったのは明治〜大正時代からで、明治時代に小麦粉の生産が増加し、それに伴って小麦粉を使用した洋風のパンやケーキが日本に普及しました。

卵や砂糖が使われた南蛮菓子のカステラも、この時代に広がっていて、現在の皮の形状はそのころのホットケーキの影響を受けていると言われています。
 

どら
どら

もっとずーっと昔からあるような気がしてた!

 
どら焼きの起源について正確な年代は不明ですが、平安時代から鎌倉時代にかけてはじまった和菓子と言われ、複数の説があります。

どら焼きは武蔵坊弁慶が銅鑼(ドラ)で焼いた説

主君の源義経と奥州へ落ちのびる際に、武蔵坊弁慶が怪我をしてしまい、近くの農家で手当をしてもらったその際に、お礼にと小麦粉を水でのばし、熱した銅鑼(ドラ)の上で焼いた生地に、餡子を挟んで振る舞ったという説です。

小豆を餡子にして食べるようになった年代(鎌倉時代)と、武蔵坊弁慶のいた時代(1189年没)が合わないとも言われるそうですが、どら焼きの丸い形は、打楽器の銅鑼(ドラ)からきているという説は有力なようです。

銅鑼は中国の楽器で、青銅や真鍮でできた平たい円形の形状で、棒状のバチで音を鳴らします。

日本では仏教の法要や民俗芸能のお囃子、船の出航時に合図を送る時に打ち鳴らすなどの役目を果たしていました。

生地をすくって、熱した銅板の上で、鉄板焼きのように生地のタネを垂らして焼いたという話はありそうですね。

茶菓子の「ふの焼き」が発展した説

織田信長から、豊臣秀吉の時代に活躍した茶人「千利休」が好んだ茶菓子に、「ふの焼き」があります。

侘茶の茶会が盛んだった桃山時代、お茶菓子は柿や栗などの木の実や、椎茸や昆布などの煮しめだったそうですが、その中で「ふの焼き」は千利休の大変なお気に入りで、なんども茶会に登場していたことが記録に残っています。

小麦粉を水で溶いて焼いたものに、味をつけた味噌を塗って巻物のように巻いて食べいたというもので、初めは砂糖もなかなか手に入らない時代のお菓子だったのが、江戸時代頃からだんだんと中に巻く味噌にクルミや山椒、砂糖などの甘味も使われるようになっていったそうです。
 

だんご
だんご

最初の頃はまだお砂糖が流通していなかった時代だね。

 
この「ふの焼き」が江戸時代には中に餡子を巻いた「助惣焼(すけそうやき)」に発展し、それがどら焼きになったと言われています。
 

どら
どら

小麦粉の中に味噌を巻いて食べてたというのが今の和菓子のベースなのかな

 
これもなんだかありそうな話ですね。

江戸時代のどら焼きはきんつばと同じ?

江戸時代のどら焼きは、現代のように個別に包装されていたわけではなく、祭りや行事の市場や屋台で売られていました。
子供たちは遊びながら食べることもあり、おやつとして親しまれました。

当時は、現代のような円形や平たい形状ではなく、四角い形状や、サイズも現代のものよりも小さかったかもしれません。

江戸時代のどら焼きは、水で薄く伸ばした小麦粉の皮に餡子を巻いた「助惣焼(すけそうやき)」が発展したものと言われますが、このころのどら焼きは、餡を包む小麦粉の皮の端を折りたたんで四角くしたきんつばのようなものだったと言われます。

現在のどら焼きの分類

現在の和菓子の分類では、どら焼きは「焼き物」に属し、焼いて作るお菓子の中でも、平鍋という銅板を使って焼くお菓子の「平鍋もの」に入ります。

「きんつば」もこの「平鍋もの」に入るお菓子なので、きんつばとどら焼きが元は同じものだったというのは納得ですね。

どら焼きと三笠焼きの歴史

どら焼きは、奈良県を中心とした関西では、現在でも「三笠焼き」と呼ばれているそうです。

ほかに「三笠」「三笠まんじゅう」「三笠山」などの呼び名があり、その理由は、緩やかな丘のようなフォルムが、奈良県の東側にある「三笠山」の緩やかな山の形に似ているからというものです。

江戸時代に広まったお菓子は、参勤交代で江戸から地方へ広まり、同じものでも地方によって呼び名が違ったり、ちょっとした材料が別のものだったりと少しずつ違っていることがあります。

どら焼きと三笠焼きは、共に日本の和菓子である点は共通していますが、形状や地域性が異なるため、直接的な関係ははっきりしていませんが、餡子をはさむ皮を両面焼きにしたものを「三笠山」、片面だけを焼いたものを「どら焼き」と呼ぶそうです。

明治時代からのどら焼きの歴史

明治時代から大正時代にかけて、西洋文化の影響で砂糖や卵を使ったお菓子が庶民の生活にも入ってきて、日本の食文化が大きく変化しました。

どら焼きもこの時代に、皮が丸い形になってカステラの生地が使われるようになり、それまでの四角い形のあんこを薄い皮で包んだだけのものとは大きく変わっていきました。
これは西洋のホットケーキの影響を受けたせいだと言われています。

どら焼きのバリエーション

現在では、どら焼きは皮の間に小豆のこしあん、つぶあんを挟んだ日本を代表する和菓子として知られています。
コンビニエンスストアでも手軽に手に入る気安さで、人気が浸透しているのがわかりますね。

そんなどら焼きはバリエーションも豊富。
生クリームを挟んだものや、木の実やフルーツを混ぜたものなど和菓子のような洋菓子のようなものもたくさんあります。
こちらではすでによく知られたどら焼きのバリエーションの代表的なものをご紹介します。

虎焼き

虎焼きはその名の通り、動物の虎の模様のついたどら焼きで、発祥の地は大阪とも言われます。
どら焼きの皮を焼くときに、下に紙をしくと、まだらに焦げたような模様が着くので、その虎のような模様を生かしたもの。
模様の出方は下に敷く紙の種類によって違うそうです。
 

どら
どら

虎模様のどら焼き、色々なお店で見かけますが「虎焼き」という名称がちゃんとあったのですね!

 

生どら

どら焼きに、小倉あんとホイップした生クリームが挟んである「生どら」。
こうなるとパンケーキに小倉あんと生クリームが挟んであるようにも見えて、ほとんど洋菓子のようです。
コンビニスイーツでも大人気で、子供も大人も大好きなお菓子です。

「生どら」は、1987年に宮城県にある菓子店「カトーマロニエ」が発祥です。

生クリームと小倉あんを挟んで「生どら」と名付けて販売した最初のお店で、地元から大人気となったそうですが、この発明はその後、隣町の「榮太楼」でもいろんな種類の「生どら」を販売して、ついに「仙台銘菓」にもなりました!

ほかのお店でも広がっていき、その後のお菓子業界に大きなジャンルとして定着しました。

もともと、どら焼きの皮がホットケーキから派生しているだけあって、どら焼きと生クリームは相性が抜群。
和菓子だけにとどまらず、洋菓子の世界でも広がっていきました。

「ドラえもん」のどら焼きは海外でも人気!

誰もが知る国民的アニメ、「ドラえもん」に出てくるどら焼きが美味しそう!
子供の頃に、ドラえもんがどら焼きを食べているのを見て、初めてどら焼きの存在を知った人も多いはず!
海外でも「ドラえもんのどら焼き」は人気で、ドラえもんを見てどら焼きに憧れる人も多いそうです。

YouTubeでは「DoraCake」の呼び名で検索するとどら焼きの動画が出てきます。
どら焼きの中身をチョコレートだと思っていた人が多いようです。
なるほど、確かに小豆を甘くして食べると思っていない国の人には、甘いあんこは想像できないのかも。
みなさんどら焼きを食べたかったのですね!!

どら焼きの歴史や由来のまとめ

どら焼きの歴史や成り立ちから、現代の進化の過程まで見てきました。

今では原材料にこだわったシンプルなものから、生クリームやフルーツ、ナッツなど和洋折衷のお菓子としても楽しめる「どら焼き」は、伝統的な和菓子かと思っていましたが、西洋の影響とともにずっと進化を遂げてきたお菓子だったのですね。

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