すっかりおいしい人気スイーツとして定着した「生どら」。
生どら焼きのスイーツ専門のブランドもあるほどですが、パンやホットケーキならわかるのですが和菓子に生クリームをはさんでしまった発想がすばらしいですよね。
そもそも生クリームを挟んだ和菓子は、和菓子と呼んでいいのか?
洋菓子とは何が違うのか、気になって調べてみました。
生クリームを使った「生どら焼き」
どら焼きに「生クリーム」をはさんだものを「生どら」と言います。
今でこそ定着した「生どら」という名前ですが、聞いた当初は何が「生」なのかわかりませんでした。
どら焼きの皮の生地が半生なの?それっておいしいの…?なんて思っていましたよ
どら焼きに生クリームを挟んだものを「生どら焼き」という呼び名もおいしそうです。
聞くと、小倉あんと生クリームを思い浮かべ、頭の中でおいしい味を想像してしまいます。
日本の和菓子の「生どら」はいつ、どこで作られたのでしょうか
生どら焼きの発祥はカトーマロニエ
パンケーキに小倉あんと生クリームが挟んであるようにも見えて、ほとんど洋菓子のような「生どら」。
今ではコンビニスイーツでも大人気で、子供も大人も大好きなお菓子です。
どら焼きに生クリームをはさんだ「生どら」は、1987年(昭和62年)に、宮城県利府町にある菓子店「カトーマロニエ」さんが発祥です。
どら焼きに、小倉あんとホイップした生クリームが挟んであるものに「生どら」と名付け、販売を開始されました。
「生どら」っていうネーミングセンスが素晴らしい!
画期的な発明だよね〜!
「カトーマロニエ」さんはもともと洋菓子と和菓子の両方を製造する菓子店で、地元では知られたお店だったそうですが、この「生どら」のおいしさに、一躍人気となりました。
現在「カトーマロニエ」さんは名古屋のチーズ菓子の会社「カラベル」さんの姉妹ブランド「六縣堂(ろっけんどう)」として仙台銘菓「カトーマロニエ 元祖生どら」の販売をされています。
「生どら」は、発売から35年目にあたる令和3年(2021年)7月に「元祖生どら」としてリニューアルされていて、今でも食べることができます。
〈小豆〉
小豆の粒と生クリームのなめらかさ
〈ずんだ〉
仙台名物のずんだ。枝豆本来の味わい
〈黒ごま〉
黒ごまの香ばしさとクリームの甘さがマッチ
〈チーズ〉
ホイップクリームとクリームチーズに白あんのコンビネーションが絶品
〈いちご〉
いちごの粒と酸味、ホイップクリームの甘みがベストマッチ
チーズ味や黒ごまなどの他の味も、間違いないおいしさ。
やはりずんだがありますね!
仙台の榮太楼の銘菓「生どら」
「カトーマロニエ」の1987年の「生どら」の誕生後、隣町の塩釜市にある明治42年創業の菓子店「榮太楼」でも様々な種類の「生どら」の販売を開始されます。
おいしさが人気を呼び、ついに「生どら」は「仙台銘菓」となりました。
その後ホイップした生クリームの入ったどら焼き「生どら」は日本各地で食べられるようになり、中身もチョコレートクリームや、カスタードクリーム、抹茶を混ぜ込んだもの、お餅が入ったもの、フルーツが入ったものなどどんどんバラエティ豊かになっていきます。
どら焼きマリトッツォは和菓子?
ところで、生クリームを思いっきり挟んだお菓子で思い出されるのが、イタリア発祥の「マリトッツォ」は、ブリオッシュのような2枚のパンの間にホイップクリームをたっぷり挟み込んだ伝統のお菓子です。
日本では、2021年ごろにブームになり、コンビニでも気軽に手に入るスイーツとして定着しましたね。
「生クリームをはさんだ」というところが共通しているせいでしょうか、「どら焼きマリトッツォ」というお菓子も販売されました。
「どらトッツォ」と呼ばれるこのお菓子は、2枚のどら焼きの皮の間に通常の2倍の量の小豆あんと生クリームをはさんでいて、もはや和菓子であり、洋菓子でもあると言えるほどの和洋折衷ぶり。
「どら焼き」なのか、「マリトッツォ」なのか?
これはもはや「マリトッツォ」ではないという意見も多かったようですが、これだけの生クリームが入っていたら「どら焼き」なのかと言われるとそれも不思議な気がしますね。
どら焼きの歴史と和菓子の影響
大好きな生クリームとどら焼きの組み合わせですが、これだけ生クリームを使ったどら焼きは、もはや和菓子ではなく、洋菓子なのでは?という疑問にぶつかりました。
そこでどら焼きの歴史を見てみると、どら焼きが現在のようにカステラ2枚であんこを挟む形になったのは、明治時代から大正時代にかけて、文明開化で西洋の食文化が一般庶民の生活にまで入ってきたからなのですね。
小麦粉を使うホットケーキの影響を受けてるんだって。
そもそも、江戸時代に甘い味の和菓子が庶民の口にも入るようになったのは、国内で砂糖の栽培が広まり普及するようになったためで、それまでは砂糖は大変な貴重品でした。
日本では古来、果物や、木の実を砕いておだんご状にしたものを「菓子」として食べていました。
南蛮菓子のカステラや金平糖などの甘いお菓子は、外国から入ってきていますから、そもそも「どら焼き」をはじめとする和菓子自体が海外の影響を受けたものなのですね。
江戸時代までは、どら焼きは小麦粉を水で伸ばした薄い皮で小豆を包んで、四角いかたちにしたきんつばのようなお菓子だったようです。
・日本で菓子はもともとは木の実や果物のことだった
・和菓子は外国から砂糖が入ってきたことで、江戸時代に甘いお菓子として普及した
・和菓子は明治維新の時に、西洋のお菓子の影響でカステラや小麦粉を使用するようになった
・現在でも外国のお菓子の特徴を取り入れて、常に進化している
どら焼き自体がもともと半分は洋菓子のようなものだったと思うと、生クリームをたっぷりはさんだ「生どら」や「どら焼きマリトッツォ」は和菓子の進化系と言っていいのかもしれません。
生どら焼きと和菓子
どら焼きが今のカステラ2枚で餡子を挟んだ形になったのが、明治時代から大正時代の頃に、外国の影響を受けてのものだと思うと、そこに和菓子の進化の形をみる気がします。
生どら焼きは、和菓子に生クリームを挟むという革命的な発明ですが、日本の和菓子が外国の影響を受けて進化を繰り返してきたことを思うと、大勢の人に受け入れられるのは当然かもしれませんね。
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