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和菓子お取り寄せ|歴史や成り立ちは?徳川家康も好んだ饅頭とは

お取り寄せスイーツ

和菓子は日本の伝統的な菓子のことで、その歴史は古く縄文時代から続き、日本の文化・伝統・四季・行事と深く結びついている日本人にとって重要な存在です。

そもそもお菓子は神様をもてなすための献上品だった物が、徐々にお客様をもてなすものになっていったといいます。

日本各地で、その土地ならではの農産物を生かして作り出される和菓子は、同じ素材でも地域によって異なる製法で作られるものも多くあり、四季の変化とともに大きな魅力となっています。

今回はお取り寄せスイーツの中でも、近年おしゃれでヘルシーと人気の和菓子の歴史や魅力を紹介していきます。

和菓子の歴史とは

「和菓子」という呼び名は、明治時代に大量に日本に入ってきた「洋菓子」と区別をするために使われるようになった言葉なんだそうです。

 

だんご
だんご

洋菓子が日本に登場するまで、お菓子って和菓子しかなかったんだね。


古代の人々にとっては、木の実や果物が貴重な甘味だったといわれ、時代が進んでも甘味は簡単に手に入るものではなく、戦国時代の献立には栗やクルミ、柿やミカンなどと並んで、しいたけや昆布なども「菓子」として記録が残っています。

おはぎ
おはぎ

しいたけや昆布が菓子…?

どら
どら

「お菓子」って甘いもののことを指していた訳じゃないのね。

砂糖が日本に入ってきて、庶民が甘い味わいのお菓子を口にできるようになったのは、江戸時代になってからです。

縄文時代〜飛鳥時代の菓子

和菓子の歴史は、縄文時代までさかのぼるとされています。

「菓子」という言葉は「果物(くだもの)」のことを指し、「水菓子」という言葉がフルーツのことを指すように、クルミなどの木の実や果物を取って食べていたことが由来となっています。

稲作が伝わった縄文時代後期には、木ノ実を貯蔵して保存食にしたり、ドングリなどの木ノ実を粉砕して、粉状にした物を大量の水でアク抜きをして、丸めた団子の原形のようなものがあり、保存食として食べていたと言われています。
 

くず餅
くず餅

お菓子というよりは、保存食の役割が大きかったのですね。

その後飛鳥時代には、遣唐使が胡椒や蜂蜜などとともに、砂糖を薬として伝えたと記録されています。

日本で最初の和菓子は、主に高価な薬としての役割を果たすために作られ、薬味や漢方薬の成分が使用されていました。

平安時代の和菓子

平安時代(794年〜1185年)に入ると、和菓子は貴族の間での贈り物や儀式で使われるようになりました。

この頃に、遣唐使が「唐菓子」(からくだもの)をもたらしたとされています。

「唐菓子」は、穀類や豆などに甘味を加えてこね、油で揚げたり焼いたりしたもので、甘味には貴重な甘葛(あまづら)が使われ、儀式やお供え物として使われました。

宮廷料理としても発展し「枕草子」や「土佐日記」などの文学作品にも登場しています。

甘味料「甘葛(あまずら)」

平安時代の甘味には、冬に糖度が上がるという蔦の樹液を煮詰めた甘葛(あまずら)が使われていました。

 

おはぎ
おはぎ

メープルシロップみたいなものかな?

 

手間がかかり、わずかな量しか取れないため、貴族などしか口にすることはできない高級品で、豪華なもてなしの最後に甘葛のかかった餅が出てくることが文献にも残っています。

砂糖などの甘味は、当時日本にほとんどなかったため、祝いのお餅などにかける甘味もほとんどが甘葛だったようです。

「枕草子」に、削り氷(かき氷)に甘葛(シロップ)をかけた物が出てきますが、あこがれのデザートだったのでしょうね。
 

だんご
だんご

平安時代にシロップがかかったかき氷を食べられるなんて、限られた貴族階級の話ですね。

この時期には、和菓子が風雅な食文化として広まり、茶の湯の文化とも結びつき始めました。

鎌倉時代〜戦国時代の和菓子

鎌倉時代(1185年〜1333年)に入ると禅宗の広まりとともに茶の湯が流行し、和菓子が茶道の一環として重要な役割を果たすようになっていきます。

鎌倉~室町時代に中国から、羊羹や饅頭などの中華菓子が伝わり、茶会や茶室での供される点心(てんしん)として利用されるようになります。

当時の饅頭はいくつかを椀に盛って、羹(あつもの・スープなどの汁物)と一緒に供される膳だったようです。

この頃の「菓子」は甘いおやつというわけではなく、食事と食事の合間に出される間食だったのがわかります。

茶の湯と菓子

千利休は織田信長、豊臣秀吉に仕え、茶の湯を広めた茶人として大変に有名な人物ですが、利休のもとで行われた茶会で供された菓子の記録があります。

当時のお茶会に出されるお菓子は、まだ砂糖が貴重品で素朴なものが多かったようです。

茶菓子
・葛餅(くずもち)・栗粉餅(あわこもち)
・焼き餅・煎餅・饅頭
・栗や柿、蜜柑などの果物
・こんにゃく、ごぼう、椎茸などの煮しめ
・ふの焼き(小麦粉を水で溶いて焼いたもの)
「松屋会記」より

また、16世紀にポルトガルやスペインから、キリスト教の布教や貿易のために権力者に砂糖が献上されるようになり、砂糖や卵が使われたカステラや金平糖などの南蛮菓子が伝わったとされており、江戸時代には卵ブームが起きたようです。

カステラやぼうろなど、砂糖と卵をふんだんに使った外国のお菓子が、この時代の人々を魅了したことが伺えますね。
 

どら
どら

砂糖や卵を入れて焼いたお菓子が登場すると、いよいよ今のお菓子に近づいた気がしますね。

 

江戸時代の菓子

江戸時代(1603年〜1868年)に入ると世の中が安定し砂糖の流通量が増え、和菓子は一般庶民の間でも楽しまれるようになっていきます。

砂糖の普及

江戸時代、8代将軍徳川吉宗(1684〜1751年)の時代に、サトウキビの苗を琉球から取り寄せ栽培することによって、それまでは高価な輸入品だった白砂糖を国産化しました。

砂糖の生産とともに、砂糖の普及が広がり、ついに甘いお菓子が庶民も口にできるようになったのです。
 

おはぎ
おはぎ

やっと庶民も甘いお菓子が食べられるようになったんだね。

各地の地域特産品や季節の食材を活かした和菓子が生まれ、地域ごとに独自の和菓子文化が発展し、現在でも多くの伝統的な和菓子が守り続けられています。

また、この時期には商業の発展もあり、和菓子店や茶屋などが広まりました。

徳川家康が配ったお饅頭

徳川家康の時代、江戸幕府では毎年6月16日に「嘉祥(かしょう)頂戴」という、お菓子を配る行事が行われていました。

勝利を祈り、厄を払うという意味があったというこの行事は平安時代から続いたもので、豊臣秀吉も祝っていたと記録されています。

この日になると江戸城の大広間には、白木の板に乗った和菓子がたくさん積まれ、旗本や大名などの家臣にお饅頭など数種類の砂糖が使われたお菓子が配られました。

このお菓子を食べる風習は、庶民の間にも広がっていったそうです。
 

おはぎ
おはぎ

厄除けに和菓子を食べるって日本らしくて面白いね。

厄除けにお菓子を食べるこの「嘉祥の祝い」の行事は、明治時代まで行われていましたが時代とともに廃れてしまいました。

昭和54年(1979年)にこの「嘉祥(かしょう)頂戴」を復活させ、6月16日が和菓子の日に制定されています。

江戸時代・広がる和菓子の刷物

和菓子が庶民の手の届くものになり、広く普及すると、それに伴って楽しみも広がっていきます。

町には多くの店が立ち並び、店頭には何を扱っているかを知らせるための看板や、人気の絵師に描かせた暦(カレンダー)などの刷物も出てきて、趣味人の間に出回ります。

江戸時代初期にはお菓子の製法が載っている、料理に関する専門書なども出てきて人気を博しました。

初期の頃に和菓子の「菓子製法書」に掲載されていたお菓子は餅を使ったものだったのが、江戸後期になるにつれて、甘い餡を使った現在の和菓子に近いものになっていきます。

また、江戸の有名菓子店の人気の順番を決める、番付(ランキング)の刷物も人気で、掲載されていた菓子店は200軒とも言われています。

江戸時代・地方の菓子が広まる

江戸時代に徳川家光の時代、大名統制のために諸大名を一定期間江戸に住まわせるという参勤交代という制度がありました。

参勤交代による領地から江戸への移動は、大名や家臣団だけでなく、その家族や使用人も同行したため、その土地ならではの地方の和菓子や土産物が広まるきっかけとなりました。

人の移動により、地方の和菓子の特徴や製法が江戸の人々に伝えられ、生産販売も盛んになったのです。
 

どら
どら

今食べている和菓子は、この時代のものが多いんだね。

 

現代にも引き継がれる和菓子の魅力

その後明治になって洋菓子が登場してからも、和菓子は日本の美意識や季節感、繊細さを表現する食文化の一部として愛されてきました。

和菓子の代表的な種類には、餅(もち)、あんこ、羊羹(ようかん)、どら焼き、求肥(もち)など今も変わらないものがたくさんあり、伝統的な製法や技術を守りながら、現在でも大人から子供まで楽しめるお菓子として親しまれています。

四季折々の和菓子

春夏秋冬の美しさを表す和菓子が店頭に並び、四季折々の行事が表現された和菓子を見ると季節の変わり目を感じて嬉しくなりますね。

だんご
だんご

それぞれの季節にはこんなお菓子があります。

 

四季のお菓子
【春のお菓子】
桜餅・道明寺・柏餅・花見団子
【夏のお菓子】
水羊羹・葛切り・水無月・若鮎など
【秋のお菓子】
栗きんとん・芋羊羹・ぼた餅
【冬のお菓子】
うぐいす餅・椿もち・酒まんじゅう

どれもよく知っているけれど、こうしてみると季節を表しているのを改めて感じます。

和菓子の歴史や魅力 まとめ

日本の伝統的な和菓子の歴史は、縄文時代から続き茶の湯の発展や、江戸時代の徳川家康も家臣に配ったなどの歴史があり、16世紀にポルトガルから入ってきた南蛮菓子とも深く結びついていました。

近年では産地にこだわりを持つ大豆や小豆、もち米など素材のヘルシーさや、その美しさから改めて注目を浴び、さらに若い職人が伝統的な製法や技術を守りながら、洗練された美しさで新たな魅力を発信しています。

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