おいしくてヘルシーなイメージの緑茶や和菓子、抹茶スイーツが日本だけでなく、海外でも注目されています。
和菓子はもともとお茶の席に出した菓子ですし、抹茶スイーツには当然抹茶がかかせません。
京都をはじめとする日本の茶の名産地の宇治抹茶は有名ですね。
日本茶があってこそ、さまざまなお菓子文化が花開いたのですよね。
その割には意外とお茶のことを知らないな〜。
日本にはたくさんのお茶どころがあり、お茶の文化は広く知られていますが、日本でお茶がいつどうやって広がったのか今回は歴史について見てみましょう。
海外でのお茶の人気は上昇中
世界ではお茶といえば紅茶のことを指すそうですが、「緑茶は体に良い」というイメージで海外での人気を伸ばしている緑茶。
海外での和食ブーム、寿司ブームとともに、緑茶も好まれるようになったようです。
昔は「草の味がする」と言って苦手な人も多かったようですが…
国内では緑茶の消費量がだんだんと縮小しているようですが、海外への輸出はここ10年以上伸び続けていて、主な輸出先はアメリカ、ドイツ、台湾だそうです。
海外のスーパーマーケットやコンビニで、緑茶(グリーンティー)を見かけることや、日本食のレストランなどでは日本茶を出してくれるところもありますね。
海外のお茶にはお砂糖がたっぷり入っていてびっくりすることがありますね。。
お茶の歴史はいつどこから?
お茶の起源はどこからなのかというと、紀元前3400年ごろに中国の漢方と農業の神とされる「神農」によって喫茶の風習が始まったとされているそうです。
「神農」とは農業・薬草・医療に尽くしたと言われる、人身牛首で腹は透明だったと言われる神話の中の神様です。
「神農」は漢方の神様とも言われていますね。
神農が薬草を調べてるために1日に何種類もの草を食べて毒にあたった時に、あらゆる毒を解毒する草が「茶」だったといわれています。
中国・唐の時代には、「お茶の神」と呼ばれた陸羽(733〜804)という文人が、「茶経」というお茶の専門書を出していて、茶の産地や、淹れ方、飲み方などを記した資料として知られています。
「茶経」によると「茶は南方の嘉木」と書かれていることから、お茶は南方からきたものとされているそうです。
高貴な方の嗜むものとして広がった喫茶の風習が、庶民でも楽しめるようになったのは明の時代(1368〜1644年)からだそうです。
日本のお茶の歴史はいつから?
一般的に、日本のお茶文化は中国から入ってきたとされています。
ですが、縄文時代後期の集落跡の遺跡にお茶の葉や、お茶の実の化石が発見されたことから、縄文時代に日本でもお茶の栽培をしていたのでは?という自生説もあるそうです!
日本のお茶の歴史にも諸説あるんですね〜!
文献にも、聖武天皇の時代に百済に茶を送ったことや、栄西が茶を持ち帰ったより前から喫茶の風習があったという記録があるそうで、自生説と渡来説の論争は続いているそうです。
それを踏まえた上でお茶の流れを見ていきます。
奈良・平安時代に輸入されたお茶
一般的には奈良・平安時代初期(710〜1192年)に、中国に留学していた空海や最澄などの遣唐使や僧がお茶の種を持ち帰ってきたというのが通説です。
平安時代初期に編纂された「日本後紀」には、やはり中国に渡った僧・永忠が嵯峨天皇にお茶を献上したという記録が記されています。
やはりはじめは高貴な方の飲み物として献上されるのですね。
その後、せっかく日本に伝わった喫茶の風習は、遣唐使の廃止とともに廃れてしまったそうです。
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平安・鎌倉時代の貿易のお茶
平安時代後半から平清盛の政権下で日本と中国の間で、日宋貿易が始まります。
この時に、臨済宗の開祖の僧侶、栄西(1141〜1215)が宗に入り、挽いた茶葉をお湯に入れて飲む喫茶法を日本に持ち帰りました。
その後お茶の栽培や、飲み方の文化を広げることになり、京都や鎌倉にも伝わっていきます。
鎌倉時代の1200年、栄西は南宋から帰国して、留学した時の経験に基づいてお茶に関しての医学的効能や茶の製法などをまとめた「喫茶養生記」を書いています。
日本最古のお茶についての本と言われていますね!
「喫茶養生記」には、抹茶の効能について記した「抹茶法」も書かれているのですが、抹茶が普及したのは鎌倉時代以降で、それは茶葉を細かくするのに石臼が必要だったからだそうです。
なるほど。。
京都宇治はお茶の名産地?
室町時代、日本最古の産地と言われる京都の栂尾(とがのお)高山寺や宇治でお茶の栽培が始まり、3代目将軍・足利義満の時代には京都・宇治のお茶が高級茶として特別に庇護され、お茶のブランドが確立されていきます。
この頃には武士階級の間で喫茶の風習が広がっていき、安土桃山時代には茶の湯の文化が発展していきます。
貴族の間だけの高級品が、武士の間でもお茶を嗜むのがステータスになっていったことから裾野が広まっていくのですね。
そしてお茶界のスター千利休が登場するのですね!
千利休が「茶の湯」を完成させたことで、お茶の席のいろいろな道具や、お茶に合わせるお菓子も発展していきます。
京都宇治田原町で日本緑茶の誕生
江戸時代、三代将軍の徳川家光(1623年〜1651年)の時代には、朝廷に献上するための高級宇治茶を入れた茶壺を、京都から江戸に運ぶ「お茶壺道中」という制度が始まります。
幕府への献上品を運ぶ行列が練り歩く「お茶壺道中」はたいへん格式のある行事で、宇治茶がそれだけ高級なものとして幕府に庇護されていたのですね。
その頃までは日本で普及していたお茶は、煎じた茶色いお湯を飲むものでしたが、1738年、ついに宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)が15年の月日をかけて、「宇治製法」と呼ばれる宇治煎茶を作り出しました。
それまでと違う緑色の水色をした、味や香りが素晴らしい新しい製法のお茶は庶民を驚愕させ、製法は全国に広がっていきました。
緑色のお茶が飲めるようになったのは、宇治田原の永谷宗円さんのおかげなんだね!!
永谷宗円さんは「煎茶の祖」と呼ばれているんだね。
日本には日本三大茶と呼ばれるように、静岡や狭山など素晴らしいお茶の産地が他にもたくさんありますが、宇治茶が日本茶の代表とも言われるのは、そういうことなのですね。
その後、江戸時代後期には緑茶の中でも高級茶とされる玉露も誕生します。
明治時代には、緑茶は輸出品としても重要な生産物でしたが、一般庶民の台所に緑茶が親しまれるようになったのは、大正末期〜昭和初期とかなり新しいことなのだそうです。
緑茶の種類
緑茶は「Japanease Green tea」として輸出され、海外でも人気です。
一般的には煎茶の割合が多く、製法は蒸し製法で作られるようです。
・煎茶:日本の生産量の3分の2が煎茶で、一般的にお茶といえば煎茶のことを指します。新芽を蒸してから揉みながら乾燥させる製法です。カフェインやタンニンの含有率が高く、ビタミンCが豊富。
・深蒸し茶:蒸す時間が煎茶よりも2、3時間長く、渋味が抑えられていて甘みがあります。
・玉露:新芽に覆いをかぶせて日光を避けて育てたお茶です。旨味の元となるアミノ酸の含有量が多く、渋みを出すタンニン(カテキン)が少なめなので濃厚な甘みがあります。
・茎茶:煎茶と同じ工程で仕上げ、茎を選別します。爽やかな香りと甘みが特徴です。
・玄米茶:蒸した米を炒り、同量のお茶を混ぜ合わせます。緑茶の風味と炒った米の香ばしさを楽しめるカフェインが少なめのお茶です。
・抹茶:日光を避けて新芽を育て、蒸したあと揉まずに乾燥させ、葉脈などを取り除き石臼で粉末にします。茶道に使用するお茶です。
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抹茶と緑茶の違いは?
抹茶は「抹茶スイーツ」としても人気で、海外ではMATCHAとそのまま書かれるほど一般的になっているようですが、抹茶と緑茶って何が違うんでしょう?
お茶にいろんな種類があるのであまり気にしたことがなかった。
抹茶は煎茶、玉露、番茶などと並び茶葉を発酵させない不発酵茶で、緑茶の一種類ですが、製法が違うのですね。
一般的に飲まれている煎茶は、太陽の光を浴びて育て、蒸した茶葉を揉んでから乾燥させますが、抹茶は茶摘みの前に20日間ほど覆いをかぶせ、日光を遮った茶葉を乾燥させたものを、石臼で挽いて粉末にしたもの
抹茶の製法で、茶葉を摘む前に日光を遮る理由は、お茶の旨味が増えること、渋みの元になるカテキンが抑えられる、茶葉の色が濃くなるなどの理由があるためですって。
和菓子お取り寄せ|お茶の歴史は京都宇治からって本当?
日本には「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」とうたわれる日本三大茶以外にもたくさんのお茶の産地があるのに、京都の宇治茶が「日本緑茶発祥の地」とまで言われるのはなぜ?
と思っていたのですが、いまも私たちが飲んでいる緑色のお茶の製法を編み出したのが京都宇治の永谷宗円(ながたにそうえん)さんだったからなのですね!
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